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ハレとケの手帖

瞑想は、「やろう」と思わない方が良い。

かれこれ5年ほど、平日の朝に瞑想をしています。

伽羅のお香を炊いて
シンギングボールの音色と10分間
ただ、座ります。

瞑想をはじめた頃は
すぐに、さまざまな事を考えてしまい
30秒、座るのがやっとでした。

毎日、情報の波にさらされていた僕の心は
隙あらば、他のことに意識がもっていかれてしまいます。

そして、居心地が悪くなり、自分には向いていないと
いつしかやらなくなってしまう。

その繰り返しでした。

でも、そもそも瞑想って、そんな義務感?とは正反対の行為のはず。

そんな時にふと、曹洞宗の宮崎奕保(えきほ)禅師の言葉を目にする機械がありました。

「人間はわがままが自由と思っておる
ちゃんと型にはまったものが平生底(日常、へいぜいてい)でなければならない
心身は一如やから、体をまっすぐにしたら、心もまっすぐになる」

なるほどなあと思い、
その日はまっすぐ座るということだけに
意識を集中してみたのです。

すると、いつもは30秒もたずに色々考えが巡っていたのが
あっという間に5分ほどが経っていました。

それまでの僕は
「瞑想は良いらしいから、やらなきゃ」
と頭で考え、そこに座るという行動をくっつけていたと気づきました。

まず、体を整え(型)、心の動きを観察する。
いまでは瞑想は、自分にとって、とても気持ちのいい、大切な時間になっています。

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